原作と二次的著作物について

 私は、「セクシー田中さん」の原作やドラマを観ていないし、どういう経緯でトラブルに発展したのかも詳しくは知らないので、その問題について批評するつもりはないけれど、世論を見ていて思うところがあったので、原作と二次的著作物に関する個人的見解を述べていく。

 まず、原作改変について私は賛成派である。二次的著作物の媒体が異なるのであれば、それに合わせて改変を行うのは当然のことであると思うし、二次的著作物を異なる媒体で制作するのは、その媒体からしか得られない差異を求めてのことと、思うからである。

 次に、原作者の権利については、契約の段階で決めるべき事柄であって、後から論ずる事柄ではないと思っている。さらに、二次的著作物に於いて、原作者は責任を取る立場にないので、口を挟むべきではないとも思っている。人に任せた以上は、その人に全てを一任すべきというのが私の考えである。

 「人の褌で相撲を取るな」と言う者もいるが、それを言うなら「原作者は自ら映像化すれば良い」という話になる。手塚治虫は自らプロダクションを創設し、新海誠は「ほしのこえ」を個人で制作した。原作者が自ら映像化するのは不可能なことではないのである。

 このように主張すると、「原作者は、そもそも映像化を望んでいない。映像化は出版社の意向だ」と反論するかもしれないが、出版を他社に外注している以上、その会社の意向に従うのは当然のことではなかろうか。出版した書籍が売れなかった場合、不利益を被るのは出版社の側である。リスクを取っているのは出版社の側であるから、リスクを肩代わりしてもらっている原作者の側はそれに従うべきである。そして、これは映像化を行うプロダクションにも言えることである。

 原作者だからといって、全てを思い通りにできると思っている方がどうかしている。多くの人が作品に関わっている以上、個人の裁量で全てを動かせないことくらい、まともな社会人ならば理解できることであろう。どうしても全てを思い通りにしたいのであれば、全てを個人で行えば良いのである。現代では、イベントやウェブサイトなど、出版社を介さずに作品を発表する場はいくらでもある。勿論、費用は全て自己負担となるが、権利に対して、相応の責任や義務が伴うのは当然のことである。その責任や義務から逃れて、権利だけを主張するのは如何なものであろうか。