「すべてが記録され、長きにわたって保存されるぼくらの社会では過去から不意打ちを受けることがままある。交通事故がそうであるように、誰も自分がそんな目にあうとは思っていない。ぼくだってそうだ」伊藤計劃「虐殺器官」
引っ越しの為に荷物を整理していたら、中学校卒業記念のDVDが出てきた。卒業した当時はDVDの再生機器を持っていなかったので、ぼくはこれをまだ視聴できていなかった。しかし、今はPCに内蔵された光学ドライブがある。今に見つかったのも何かの縁と思い、ぼくはこのDVDを数年ぶりに視聴してみることにした。それがパンドラの箱であるとも知らずに……
DVDに保存されていた動画は、オタク気質な先生が編集したこともあり、当時ユーチューブで人気があった「ゆっくり茶番劇」のような体裁をとっていた。そのせいか、ぼくはまるでタイムスリップしたかのような感覚に陥った。そして、当時好きだった子や放課後にオタク談義をした友人などの映像が流れてくると、ぼくの目からは自然と涙が流れていた。当時はあれだけ苦痛な学校生活だったというのに、時が経って、それはいつの間にか思い出へと昇華されていた。思い返せば、あの頃も悪いことばかりではなかったと思えるようになっていた。
ここで終われば、今回のブログは良い話で終われたが、現実はそう甘くはなかった。
しばらくモニターを見ていると、海の映像が流れてきた。それは校外学習でシーカヤックを体験する為に、学年全員がウエットスーツを着て講習を受けている場面であった。その映像の中で一人だけ挙動のおかしい人物がいた。その人物は講師が話をしている最中であるというのに、体を前かがみに傾けたり、腰を捻らせたり、腰の前で手を組んだりと、とにかく奇妙な動きをしていた。お察しの通り、その人物はぼくであった。その事実に気が付いた途端、ぼくはその時の記憶がフラッシュバックした。そう、あれはウエットスーツに着替えた直後のことであった。シーカヤックを体験できることに対する興奮か、それともウエットスーツで浮かび上がった同級生のボディラインに対する興奮か、はたまた自分が着ているウエットスーツによる締め付けが原因か、ぼくは勃起をしていた。あの奇妙な動きはその隠蔽工作であった。そして、その一部始終が卒業記念のDVDに保存されていた。その事実は50人以上いるぼくの同級生もこの映像を持っていることを意味している。過去からこのような不意打ちを受けるとは、ぼくも思ってもみなかった。
このDVDに込められた刃は2枚あった。ひとつは隠蔽工作の一部始終を収めた記録そのもの。もうひとつは、このDVDを貰ったとき、ぼくが中身を確認しなかったということだ。両親から再生機器を借りるたり、図書館やネットカフェを利用すれば、いつでもDVDの中身を確認することはできた筈だ。けれど、ぼくはそれをしなかった。あのとき、どうしてDVDの中身を見ることを恐れたのか。いまとなっては思い出せない。いま、自分は恐れているだろうか。たぶん、恐れているのだろう。ただし、勃起を隠す一部始終が記録されていた事実を知ったいまとなっては、その恐れは違った意味であるはずだ。
ぼくは恥を背負うことにした。けれど、だれも気がつかなければいいな、と思いながら。この映像をこの世から消し去るには、もう虐殺の文法を綴るくらいしか方法はない。ぼくはブログを書き始めた。